先日、久しぶりにSさんが訪ねて来てくれたので、僕も久しぶりのことでもしようカシラと思い、ブログを書くことにしました。
身の回りの出来事や頭に浮かんだことを文章にして、読み返す。日記のようにそれができたらいいのですが、思いついた時にしかできない単発日記なのです。
僕はいつも自転車でお家からお店まで通っています。雨の日はバスを使います。
最近車を運転する機会がめっきり減ってしまい、運転技術の衰えを危惧しています。
別の話で、たまに奥さんを隣に乗せて運転する機会があると、コワいコワいを連発されます。僕が奥さんの運転で隣に座る時も気持ちは同じなのですが、僕は極力その言葉を発するのを我慢します。本当は助手席に座るのが嫌なくらい怖いのですけど、我慢します。まぁそういうことってあるでしょう?
テレビの録画可能時間がいつもリミットいっぱいになってしまっていて、泣く泣く見ないうちに消去してしまう番組が増えています。
この前のスーパーボウルを録画しようと思い5時間分の「空き」を作るために、見ていない番組や映画を消しました。断腸の思いとはこのことです。
試合自体はライブでも見ていましたが、しばらく何回か録画を見返して、ああだ、こうだとのたまうつもりなのです。さすがにハーフタイムショーは2回目からは早送りだと思いますけど…。
実家の父の命で木箱入りの「お皿」を買取業者さんに査定をお願いしました。
最初の業者さんの査定価格で心にかなりダメージを負ったのですが、セカンドオピニオンでなんとか踏みとどまりたい、と別の業者さんにも持ち込みました。
しかし更に深手を負わされてしまいました。辛い…。
さて物の価格とは何なのでしょうか。
お皿は、作家さんの作品であることはお墨付きです、と言われました。しかし、提示された買取の価格はホームセンターで売っているお皿の値段にも及びませんでした。
もちろん、僕も商売人の端くれ、崖っぷちです。いわゆる店頭での「販売価格」がどのようにして設定されるのかは十分に理解しているつもりではありますが、こういうことを体験すると「価格」の不可思議さに直面します。
先日訪れた大型量販店でも同じことを考えました。量販店にもいわゆる「額縁」は売っています。しかも恐ろしい程の量で…。
このたび、今は亡きある俳優さんの写真を額装させていただく機会がありました。
その名前はスティーブ・マックイーン。齢50歳で亡くなられた映画のスターです。現役で活躍されていたころは文字通り説明不要の大スターでしたが、亡くなられて40年以上の年月が過ぎました。
もう若い人たちには、少しこの方の説明が必要な時代になってしまったのかもしれません。残念です。
説明、説明とややこしいですが、この写真のスティーブ・マックイーンには説明不要の「カッコよさ」があると思いませんか?
広辞苑で「カッコよさ」と引いたらこの写真が載っているということでいいと思いませんか?例えば一万年後にこの額装が未来の人たちに発見され、発見した人が最初に発する言葉は「なんちゅう、カッコいい!」だと思いませんか?僕はそう信じます。僕が生まれ変わってのその人であったなら間違いなくそう言います。
この額装はシンプルかつストレート。ただただ写真の中の彼を見てください。この額装は僕たちが目指す「額装の本質」の一つの形を体現できていると自画自賛の仕上りになりました。
これからもそういうところを目指して額装に向き合っていきたいと思っています。